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私は大学卒業後、建具メーカーに就職しました。
当時、マンションの建築ラッシュで会社も多忙を極めていました。
仕事量も半端ではなく、自分の力量不足も加わって月残業150時間という月も多々ありました。
「青木さん。”死相がでてるよ!”」と、冗談まじりで言われることも多々ありました。(読んでて笑えないかもしれませんが・・・。)
現場から、会社から、工場からと、様々なプレッシャーを感じながらの、5年の生活で身体はしだいに蝕まれていました。
「十二指腸と胃潰瘍を併発しています。」との医者からの宣告。
水のような胃液が毎日でる苦しみの中でもがく毎日。
しかし、負け犬と呼ばれたことが悔しくて、何年間は歯を食いしばり耐え抜きました。
その後、退職をすることになりますが、不思議と悔しさは全くありませんでした。
何かやりきった充実感がありましたが、今思えば仕事を途中でなげて残された上司の方には、ご迷惑をお掛けしたと心より反省しております。
退職後は、営業に自信があったので、経験のない営業をしたくてNTTの販売店に就職するしました。今までの営業スタイルとは異なり、完全な飛び込み営業でした。
小規模な会社でしたので、学ぶべきところは、非常に多かったように思います。
しかし、煮え切らない毎日の中、以前の会社の先輩から電話がありました。
その電話が人生を変えるきっかけになることになります。
「今、職人してるから手伝ってくれ!」
「働きだしたばっかりやから、今は無理やわ〜。」
行きたい気持ちもありましたが、徳島と福岡の距離の問題・結婚・実家と・・・様々な問題もあり決意することが出来ませんでした。
それからも先輩から誘いは受けていましたが、決断することなく日々を生活していました。
だけど、そこで終わりたくなかった。
次のステージへと突き抜けたかった。
身を焦がすほどの熱さを味わいたかった。
そんなもんもんとする中、再び電話がありました。
「石垣島で取付あるからいこう!」
その一言で、私の心は決まりました。

徳島から福岡に行く決意をして、いろいろな方に迷惑を掛け、支援していただいたおかげで、次のステージへと進むことが出来たこと、心より感謝しております。
建具メーカーに勤めていた時の知識は忘れていませんでしたが、職人という仕事の厳しさも味わうことになりました。
その後、大阪営業所を開設し、所長として事務所を構えたもののわからないことだらけ。
(職人なんてえらそうなことをいっていましたが、当時は取付じたい出来ませんでした。
当時を思い出すと冷や汗がでます・・・。)
暗闇の中を手探りしながら、道なき道を一心不乱に走り続けました。
「後戻りはできない。」
何も見えない中、倒れないように祈りながら、とにかく自分の信じた方向に走るしかありません。今、考えれば、絶対にあの時でないと出来ていなかった。
今、あの当時の自分に声をかけるなら、”無謀すぎるよ!”
”もう2年早いよ” とか、頭でっかちな意見しか言わないかもしれません。
それが普通の意見だからです。
最終、やはりビシネスは、タイミングと情熱が非常に大切 なものだと・・・しみじみ感じています。
その後、会社を分社化し、現在に至っております。
大阪に来たときは、事務所もなく打ち合わせや面接はデニィーズでした。(楽しかった・・・。)
今は、事務所とリペア工場もでき、社員11名、協力会社5社と共に、日々、仕事に精進しております。
7年前は、1社だったお客様も、今では80社を超えました。
新規事業で始めたリペア事業は、建材だけではなく鞄や靴の革製品のリペア、リメイク事業も開始しました。工場も併設し、日々、技術向上に励んでおります。
おかげさまで取付工事、リペア工事ともに会社様だけでなく、個人のお客様からもたくさんの喜びの声を頂くことが出来ています。
「どうやってここまで来れたのですか?」 との質問はよく受けます。
上記にも記しましたが、「タイミングや情熱ももちろん必要ですが、当時の私には、”これしかなかった!!” これをがんばるしかなかったことが一番だ。」 と、答えています。
後付けで加えるなら、やって苦ではない仕事だったことです。
要因を挙げるときりがありませんが、仲間の存在も非常に大きいです。
そんな素敵な仲間と共に仕事に励める自分を幸せに思います。
みなさまにお伝えしたい、私の基本スタンスです。

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